2011年03月15日
あれから・・・・・・
3月11日(金)
「入社日休暇」という事で、有給を取った。
ウマい具合に3連休となる。
朝早くから山形に行き、美術館で「写真展」を観賞して夜に帰ってくる予定でいたが、朝からボタボタと雪が降り積もっており、あえなく山形行き断念。
朝食後に家の前の通路を一人で1時間半かけて雪かき。(隣近所の人は会社休みじゃないので、すでに出勤している)
汗まみれ、そして腰痛が出たので「ゆぽか」に行ってのんびりとお湯に浸かってくる事にする。
いつもなら午後までゆっくりとしてくるのだが、なぜか早めに「ゆぽか」を出る。
そして、開店時間過ぎたばかりの「悦波」さんでお昼。(後日、その内容をアップします)
帰宅。
雪で足元が悪いので、母を車で買い物に連れて行く。
天気悪いから、と、いつもより早めの時間で家を出て近所のスーパーへ向かう。
午後2時35分頃帰宅。
「悦波」さんの記事をアップしようと2階の部屋でパソコンに向かう。
ガタガタと部屋が揺れる。
慌てて一階に降り、両親に「逃げろ!!」と声をかけ、共に外に逃げ出す。
激しい揺れ・・・・・・。
電線が波打つ、駐車中の車が今にも走り出しそうに前後に動いている・・・・・。
長い揺れ・・・・・・。
いままで経験した事が無い大きな地震。
テレビはすべて地震速報に切り替わる。
最初の揺れ後も余震が続き、その日はほとんど寝れず、茶の間で毛布を被り朝までテレビを見ていました。
母親は早めに寝ましたが、オヤジは12時頃まで起きていたので、「何かあったら起こすから」と寝かせる。
テレビから映し出される被災地の映像に愕然とするばかり・・・・・。
自然の力、恐ろしさ・・・・・・・。
休暇が終わり会社に出社したが、客先や供給者、外注先と連絡取れず・・・・・・。
やっと担当者に連絡が取れたのは、次の日になってでした。
材料の購入先は工場が仙台空港のすぐそばにあり、津波に呑まれ現在も水に浸かって近寄る事が出来ず。
連絡をくれた営業担当者の方の自宅も流されてしまったとの事でした・・・・・・・。
茨城にあるうちの会社にとって一番の客先も操業の見込みが今のところ立たないとの事・・・・・。
100%下請け企業の我が社にとって、深刻な事態となっています。
毎日、会議を行いその対策に追われています。
日にちが経ち、少し気持ちが落ち着いてきて思う事はあの日、山形に行っていたらどうなっていただろう、私がいなくて母がいつもの時間に歩いてスーパーに買い物に行っていたらどうなっていただろう、と思うと少し背筋が寒くなるのでした。
何か目に見えないものが守ってくれたのでは、などと思ったりもするのでした・・・・・。
最後に、このたび震災に遭われた皆さんに心からお見舞い申し上げますm(__)m
どうぞ、力を合わせて頑張って行ってください。
無事でいた方々が、元気で暮らしていく事が早期復興に繋がると思います。
「入社日休暇」という事で、有給を取った。
ウマい具合に3連休となる。
朝早くから山形に行き、美術館で「写真展」を観賞して夜に帰ってくる予定でいたが、朝からボタボタと雪が降り積もっており、あえなく山形行き断念。
朝食後に家の前の通路を一人で1時間半かけて雪かき。(隣近所の人は会社休みじゃないので、すでに出勤している)
汗まみれ、そして腰痛が出たので「ゆぽか」に行ってのんびりとお湯に浸かってくる事にする。
いつもなら午後までゆっくりとしてくるのだが、なぜか早めに「ゆぽか」を出る。
そして、開店時間過ぎたばかりの「悦波」さんでお昼。(後日、その内容をアップします)
帰宅。
雪で足元が悪いので、母を車で買い物に連れて行く。
天気悪いから、と、いつもより早めの時間で家を出て近所のスーパーへ向かう。
午後2時35分頃帰宅。
「悦波」さんの記事をアップしようと2階の部屋でパソコンに向かう。
ガタガタと部屋が揺れる。
慌てて一階に降り、両親に「逃げろ!!」と声をかけ、共に外に逃げ出す。
激しい揺れ・・・・・・。
電線が波打つ、駐車中の車が今にも走り出しそうに前後に動いている・・・・・。
長い揺れ・・・・・・。
いままで経験した事が無い大きな地震。
テレビはすべて地震速報に切り替わる。
最初の揺れ後も余震が続き、その日はほとんど寝れず、茶の間で毛布を被り朝までテレビを見ていました。
母親は早めに寝ましたが、オヤジは12時頃まで起きていたので、「何かあったら起こすから」と寝かせる。
テレビから映し出される被災地の映像に愕然とするばかり・・・・・。
自然の力、恐ろしさ・・・・・・・。
休暇が終わり会社に出社したが、客先や供給者、外注先と連絡取れず・・・・・・。
やっと担当者に連絡が取れたのは、次の日になってでした。
材料の購入先は工場が仙台空港のすぐそばにあり、津波に呑まれ現在も水に浸かって近寄る事が出来ず。
連絡をくれた営業担当者の方の自宅も流されてしまったとの事でした・・・・・・・。
茨城にあるうちの会社にとって一番の客先も操業の見込みが今のところ立たないとの事・・・・・。
100%下請け企業の我が社にとって、深刻な事態となっています。
毎日、会議を行いその対策に追われています。
日にちが経ち、少し気持ちが落ち着いてきて思う事はあの日、山形に行っていたらどうなっていただろう、私がいなくて母がいつもの時間に歩いてスーパーに買い物に行っていたらどうなっていただろう、と思うと少し背筋が寒くなるのでした。
何か目に見えないものが守ってくれたのでは、などと思ったりもするのでした・・・・・。
最後に、このたび震災に遭われた皆さんに心からお見舞い申し上げますm(__)m
どうぞ、力を合わせて頑張って行ってください。
無事でいた方々が、元気で暮らしていく事が早期復興に繋がると思います。
Posted by 鶴ニイ at 23:15
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